ソーシャル・ライカーズをご覧の皆さん、こんにちは。ドイツ・ベルリン在住のライター・鈴木達朗と申します。今回は、私が住むベルリンにおける難民問題の実情について、難民の方々の生の声を交えた記事をお送りします。
中東、アフリカから欧州へ流入する難民の数は、大きく膨らんでいます。ドイツも、多くの難民を受け入れています。今回は、ドイツの中でも筆者が在住するベルリンについてのお話をさせていただければと思います。

1.ドイツ国内の、難民問題の背景

ベルリンの新聞を読んでいると2016年に入ってから、移民流入の数が減少し始めた、というニュースが出始めました。とはいえ、未だに多くの難民申請者は各地域の体育館を改造した難民キャンプ(リンク先参照)に住んでいます。ここで、次の図を見てみましょう。


出典:Mediendienst Integration

このグラフは『アジール申請』の数を示しています。アジールとは、主に戦争や政治的な理由から自国に住めなくなった人々が国ないし市から滞在許可を得て、一時的に生活する権利を得ることです。グラフの上に、1990年以降の主な内紛や戦争が始まった年を書いてみました。
ここで、「始まった」と強調したのは、一度始まった戦争や内戦は長期化するからです。2016年に主にシリア周辺からの難民の数が減ったのも、国境警備などが厳重になりヨーロッパまでたどり着けなくなった要素も強いはずです。ユーゴスラビア内戦・紛争も、沈静化したのは2000年以降でした。さらに、次の図も見てみましょう。


出典:Mediendienst Integration

上から、申請者数が多い国順に並んでいます。シリア、アフガニスタン、イラク、イランなどは2001年のイラク戦争以降の流れから、現在のシリア周辺の惨状につながっているのが良くわかると思います。地図でみると、これらの国々が地続きになっているのがよくわかります。


出典:グーグルマップ

次に、リストにある認可率を見てみましょう。これは緊急度に応じて、ドイツがその申請を受け入れた割合です。シリアがダントツに高く、シリア戦争の緊急性が良く分かります。
ここでは、公式の申請者数の数字ですが、実質難民としてやって来て、コンピューター上に登録されている人数は100万人を超えており、家族や親戚を頼って無断で移動した人々も多く、正確な数字を捉えるのが難しい状況です。
今回は、筆者の友人が働いている語学学校にお邪魔し、実際の難民の声を取材しました。少しでも、雰囲気が伝われば嬉しい限りです。

2.語学学校:隠れた難民政策の最前線

今回お世話になるのは、ベルリンの語学学校『BSI』。ここで教師をしている友人・カルロスに、コーディネートをしてもらいました。待ち合わせは、いわゆる「トルコ人のゲットー」と呼ばれたノイケルン地区の入口。確かに、そんな雰囲気が出ているグラフィティ(落書き)が至る所にあります。

たどり着いた語学学校の門をくぐり、シリア人の生徒と立ち話をしました。

現地の声1:イブラヒム(23歳、シリア出身)

「ベルリンに来たのは、去年の夏かな。トルコからギリシャまではボートで、ギリシャからセルビアまでは電車で。セルビアからハンガリー国境を越えるときには柵があって、そこは徒歩で入ったんだ。隠れてね。ハンガリーで捕まって、4日勾留所に入れられた、指紋も取られたよ。ご飯は出たけれど、タバコもないしシャワーもないからしんどかった。問題なく解放れて、そのままオーストリアに入った。そして、ミュンヘン経由でベルリンに来たんだ」

――ベルリンでの生活はどう? 未だに避難所に住んでいる人も多いけど……。

「今は、宿舎で寝泊まりしてる。1部屋に2人いるから居心地は良くないけど、なかなか家も見つからないから。(自分で部屋を見つけることは?)問題ない。今はドイツ人の彼女も助けてくれる」

――家族との連絡は?

「シリアのポルミラにいる家族とは、コミュニケーション・アプリの『ワッツアップ』で連絡を取り合ってる。語学学校を終わらせたら、早く仕事を見つけたいね。シリアでは、電気技師として働いていた。ドイツでも同じ仕事に就ければいいな。写真は取らないでくれ」

こちらが、今日のコーディネートをしてくれたカルロス。建物内では、カルロスが紹介してくれた経営者の1人アッティラと話すことができた。

現地の声2:アッティラ(BSI経営者)

――2013年を境にいろいろなことが変わったと思いますが、現状について聞かせてもらえますか。

「まず、このBSIに入ってくる外国人の数は変わりません。2013年まではヨーロッパ、特にスペインやイタリアからの人々が多く、現在は主に戦争・紛争地域からの流入が多くなりました。今はシリアやイラクから来た人々が増えましたね。
政府の難民政策では、読み書きが出来ない人々を支援するようプログラムが組まれています。この支援には、インテグレーション(統合)コースへの参加費も含まれます。難民申請をする人々の40%は読み書きができません。そのためのコースは市民学校が担当し、私たちは外国語(主に英語)が最低限できる人々にコースを提供しています」

――現在難民としてやってきた人々と、例えば10年ぐらい前にやってきた人々との間に違いはありますか?

「当時の難民は、現地でしっかり教育を受けた人々が多かったです。彼らは、自分が何をしているのか良く認識し、そのために勉強し、生活を合わせてきました。しかし現在の難民は、そもそも外国に来ることを考えていませんでした。ドイツ語を学ぶことも、強制されているのです。積極的に学ぼうとする人も中にはいますが、多くは行政に関する手続きを意味も理解できていませんし、納得もしていません」

――彼らは、そういうことに慣れる環境が無かったのですね…。

「どこで、そういったことを学べますか? 彼らは、戦争状態のなか生きてきたのです。もっとも重要なのは、生き残ること。難しいですよね。加えて、彼らは精神的な傷も引きずっています。ドイツに来ても、さまざまなプレッシャーを受けています。そうして、それらが爆発してしまうのです。行政は、そういった点を見過ごしています。難民の人々にとって、このプログラムはあまりにも要求が高すぎるのです。彼らは、戦争のトラウマを引きずっています。時間が必要です。簡単に『OK、今からここに座って半年後にはパーフェクトだ』というわけには行かないのです」

授業にもお邪魔しました。今日のクラスはイエメン、ギリシャ、トルコ、ネパール、メキシコ、インドから来た生徒たち。皆熱心に勉強していました。

現地の声3:カルロス、ドイツ語教師

――今日は色々調整してくれてありがとう。最後は、教師としての立場から現場の感覚を聞きたい。
「2014年ごろから急に、シリアや園周辺からの生徒が急激に増えた。イエメンからも多いね。あそこも内戦が起きているから。この地域から来た人々は、全くタイプが違う。元々国外に出たかった人、この状況を利用して国外に出た人、そして全く国外に出ることを考えてなかった人。本当に、いろんな層の人々が一斉にやって来た。
アラブの世界だと通常、こうやって国外に来られるのは比較的上の階層だけだ。今は元々、自国でも問題があった人々がやって来ている。前にいたある生徒は元々パレスチナ人で、シリアに亡命してマイノリティとして生活し、さらにドイツまで難民としてやってきた」

――さっき、アッティラが言っていた問題は、カルロスも体験した?

「そうだね。大体の問題は、男女間の文化の違いだ。悪意のあるなしではなく、女性が教師として男性に対しイニシアチブを握る状況に対応できない。女性から話しかけられたり、触られたりすることを文化的に体験してこなかった人もいる。授業中に女性の先生が手を少し触ったら、手を洗いに行った人もいたっていうんだ。接触が禁止されているところもあるからね。そういう極端な状況は、今までにはなかった」

――それで、まあ、難民としてやって来た生徒の話も聞くわけだけど…。

「悲しい話も、ときどき聞くよ。ヨーロッパにたどり着くためボートで移動したけど、途中でボートが壊れて、8時間も救命胴着を身に着けたまま浮いていなければならなかったという話もあった。救命船が来るまでに、何人も死んでしまったらしい。その人は、長男が重い戦争のトラウマを引きずっていて、とても心配していたよ」

まとめ

駆け足でお送りしましたが、これが筆者の過ごすベルリンにおける難民問題の実情です。移民や難民問題に関しては、良くも悪くもドイツのほうが肌で感じられる部分はあります。この記事が日本の皆さんが難民問題を考えるきっかけになれば幸いです。

▪️プロフィール:鈴木達朗(すずき・たつろう)
1983年生まれ。ベルリン在住。ドイツのサッカーの育成の現場に関わりながら、ベルリン自由大学大学院で文学部修士課程を卒業。現場で培ったサッカーの専門的な知識と大学で学んだ学術的な言語表現と論理構成を活かして、ドイツ国内で活動している。
ウェブサイト:tatsurosuzuki.com